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浦添市文化財調査報告書 | 浦添市

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(1)

浦添市文化財調査報告書

2012(平成 24)年3月

沖縄県 浦添市教育委員会

勢理客城門原古墓群

じっ ちゃ く ぐすく じょう ばる こ ぼ ぐん

う ら そ え し

(2)
(3)
(4)
(5)

浦添市文化財調査報告書

2012(平成 24)年3月

沖縄県 浦添市教育委員会

勢理客城門原古墓群

じっ ちゃ く ぐすく じょう ばる こ ぼ ぐん

う ら そ え し

(6)
(7)

巻頭1 勢理客城門原古墓群:発掘調査区北西側(北より)

(8)

蓋 甕 子 厨   土 出 墓 号

0 1

 

4

頭 巻 蓋

甕 子 厨   土 出 墓 号

0 1

 

3

頭 巻

蓋 甕 子 厨   土 出 墓 号

0 1

 

6

頭 巻 蓋

甕 子 厨   土 出 墓 号

0 1

 

5

頭 巻

巻頭7 10号墓出土 厨子甕(ボージャー) 巻頭8 10号墓出土 厨子甕(ボージャー)

(9)

(本文

本報告書は平成22年度に沖縄食糧株式会社から業務委託を受けて実施した同社敷地内の造成工 事地内に所在する勢理客城門原古墓群の緊急発掘調査の成果をまとめたものです。

勢理客城門原古墓群は、市の西部を流れる小湾川河口に面した丘陵の斜面に位置しています。近 隣には、かつての勢理客、小湾、仲西、安謝の各集落があり、この一帯が古くから墓域として利用 されていたことがわかります。

今回の調査で発掘された古墓からは墓の構造・形態等についての貴重なデータを得ることができ ました。また、それぞれの墓からは陶製・石製の蔵骨器や陶磁器、煙管、銭貨などの遺物が出土し、 被葬者や納骨された年代などの貴重な情報を得ることができました。出土した人骨の分析では、近 世琉球人の形質や、個々の特徴などの一端を浮かび上がらせることができました。

本報告書が文化財に対する認識と理解を深めるとともに、沖縄の葬制・墓制並びに地域の歴史研 究など学術研究の一助として多方面に活用頂ければ幸いです。

発掘調査及び資料整理にあたり、多大なるご指導、ご協力を頂きました関係各位に対して深く感 謝申し上げます。

最後に事業主の沖縄食糧株式会社におかれましては、発掘調査全般にわたり多大なるご配慮、ご 協力を賜り、おかげさまをもちまして多くの成果を得ると共に順調に調査を完了することができま した。衷心より深く感謝申し上げます。

平成24年3月

(10)

1.本書は、浦添市字勢理客に所在する勢理客城門原古墓群の発掘調査成果を収録したものである。 2.発掘調査は沖縄食糧株式会社が計画する同社敷地内の造成(駐車場建設)工事に伴うもので、

同社から委託を受け、浦添市教育委員会が実施した

3.現地調査は平成22年12月1日に着手し、平成23年1月27日に完了した。一部業務を発掘支 援業務として株式会社ティガネーに委託した。

4.平成 23 年度も資料整理作業を実施し、出土遺物の実測や出土人骨の同定・計測作業を行った。 下記の整理作業を発掘支援業務として委託した。

・蔵骨器の遺物実測、トレース、写真撮影等:株式会社パスコ沖縄支店 ・蔵骨器以外の出土遺物のトレース、写真撮影等:株式会社アーキジオ沖縄

5.資料整理にあたり、次の方んから指導・助言を頂いた。記して感謝申し上げます。(五十音順、 敬称略)

倉成 多郎(那覇市立壷屋焼物博物館) 鈴木 悠(浦添市立図書館)

輝 広志(南城市教育委員会文化課市史編さん係) 仲宗根 求(読谷村立歴史資料館) 長濱 健起(宜野湾市教育委員会) 福地 有希(琉球大学附属図書館)

6.本書の編集にあたっては、各墓ごとに本文、遺構の実測図・表、出土遺物などを記した。 7.掲錆遺物は、原則として各墓ごとに一連番号を付し、遺物番号とした。

8.本書の執筆を以下のように分担した。編集は渡久地政嗣、仲宗根久里子が行った。

第1章・第3章(遺構)・第5章 渡久地 政嗣

第2章 玉榮 飛道

第3章(遺物) 仲宗根 久里子 玉榮 飛道

第4章 菅原 広史

9.本調査に係わる写真、実測図など一切の調査記録は、浦添市教育委員会において保管している。

1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。 2.座浦は世界測地系を用いた。

3.遺構平面図に記した方位針は座浦北を示す。

4.遺構断面図を作成した位置については、遺構平面図に横断ラインで示す。 5.遺構図の作成については1/60を基本スケールとする写真測量で行った。

6.遺物実測図の縮尺については、蔵骨器は 1/6 スケールを基本とし、その他の遺物は大きさに打 じて1/2スケールから原寸大までを使い分けた。

(11)

奥 壁

墓 庭

墓室幅 棚幅

棚幅 棚幅

墓口:奥行/幅

庭 幅

右 棚 左 棚

奥 棚

棚高

墓室 高

墓口 高

[墓室平面] [墓室断面]

内 径 口 径 胴部最大径

帯②

帯①

マド枠

マド 帯③

底部穴

底径

つまみ高

体部高 器高 つまみ(有孔)

つまみ台(有台)

蓋表文様

つまみ(無孔)

無台

口径

[マド枠とマドの分類]

寄棟形

1方2方

平葺形

1方4円

平葺形

1方2方

唐破風形

1円2円

唐破風形

1方2方

[墓室・墓口・墓庭の計測位置]

(12)

序 浦添市教育委員会 教育長 津波 清

例 言

凡 例

目 次

第1章 はじめに

第1節 調査に至る経緯 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第2節 調査体制 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第3節 調査経過 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

第2章 位置と環境

第1節 遺跡の位置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 第2節 遺跡の自甕的・地理的環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4 第3節 遺跡の歴史的環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

第3章 調査成果

第1節 調査の況要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6 第2節 1号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11

第3節 10号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

第4節 16号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37

第5節 その他の墓の出土遺物

第5章

第4章 勢理客城門原古墓群出土の人骨

おわりに

写真図版 報告書抄録

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

(13)

挿図目次

第1図 勢理客城門原古墓群の位置と周辺の文化財 3

第2図 各墓の位置図 ・・・・・・・・・・・・7 第3図 1号墓墓室横断見通し図(遺物有り)・・

第4図 1号墓遺構図・・・・・・・・・・・・

第5図 1号墓出土遺物1 ・・・・・・・・・・ 第6図 1号墓出土遺物2 ・・・・・・・・・・

第7図 1号墓出土遺物3 ・・・・・・・・・・21 11 12 19 20

第8図 1号墓出土遺物4 ・・・・・・・・・・22

第9図 10号墓墓室横断見通し図(遺物あり)・23 第10図 10号墓遺構図・・・・・・・・・・・・24

第11図 10号墓出土遺物1・・・・・・・・・・30

第12図 10号墓出土遺物2・・・・・・・・・・31 第13図 10号墓出土遺物3・・・・・・・・・・32

第14図 10号墓出土遺物4・・・・・・・・・・33

第15図 10号墓出土遺物5・・・・・・・・・・34

第16図 10号墓出土遺物6・・・・・・・・・・35

第17図 10号墓出土遺物7・・・・・・・・・・36 第18図 16号墓遺構図・・・・・・・・・・・・38

第19図 16号墓出土遺物1・・・・・・・・・・44

第20図 16号墓出土遺物2・・・・・・・・・・45 第21図 16号墓出土遺物3・・・・・・・・・・46

第22図 16号墓出土遺物4・・・・・・・・・・47 第23図 転用蔵骨器(パナリ焼) ・・・・・・・ 49

第24図 沖縄産陶器・土製品 ・・・・・・・・・ 50

第25図 青花・瑠璃釉・本土産時期・近現代磁器 51 第26図 銭貨 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 52

第27図 ガラス玉 ・・・・・・・・・・・・・・ 53 第28図 指輪 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 54

第29図 煙管・金属製品 ・・・・・・・・・・・ 55

第30図 ガラス製品 ・・・・・・・・・・・・・56

挿表目次

第1表 出土遺構一覧表 8 第2表 出土遺物一覧・・・・・・・・・・・・・10

第3表 1号墓出土蔵骨器(身)観察表・・・・・・16 第4表 1号墓出土蔵骨器(身)観察表・・・・・・17

第5表 1号墓出土蔵骨器(蓋)観察表・・・・・・17

第6表 1号墓出土ガラス玉・金属製品観察・・・・17 第7表 1号墓出土ガラス玉・金属製品 ・・・・・・18

第8表 1号墓出土銭貨観察表・・・・・・・・・18 第9表 10号墓出土蔵骨器(身)観察表・・・・・28

第10表 10号墓出土蔵骨器(身)観察表・・・・・29

第11表 10号墓出土蔵骨器(蓋)観察表・・・・・29 第12表 16号墓出土蔵骨器(身)観察表・・・・・42

第13表 16号墓出土蔵骨器(蓋)観察表・・・・・43 第14表 出土遺物観察表(銭貨)・・・・・・・・・52

第15表 出土遺物観察表(銭貨)・・・・・・・・・53

第16表 出土遺物観察表(簪)・・・・・・・・・・54 第17表 出土遺物観察表(釘)・・・・・・・・・・54

第18表 出土遺物観察表(釘)・・・・・・・・・・56 第19表 勢理客城門原古墓群出土人骨一覧・・・

第21表 上顎骨及び下顎骨残存歯の観察表 第22表 頭蓋骨及び下顎骨観察表 第23表 変異等一覧

20表 年齢・性別構成及び最小個体数一覧 64 66 67 68 69 ・・ ・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・

写真図版

巻頭1 勢理客城門原古墓群:発掘調査区北西側(北より)

巻頭2 勢理客城門原古墓群:発掘調査区南東側(東より) 巻頭3 10号墓出土 厨子甕蓋

巻頭4 10号墓出土 厨子甕蓋 巻頭5 10号墓出土 厨子甕蓋

巻頭6 10号墓出土 厨子甕蓋

巻頭7 10号墓出土 厨子甕(ボージャー) 巻頭8 10号墓出土 厨子甕(ボージャー)

(14)

図版1 調査地遠景:上空から

調査前状況(伐採後:北から)

図版2 1号墓 遺構完掘状況

1号墓 墓口左側面のホゾ穴検出状況

図版3 1号墓 墓室内蔵骨器検出状況 1号墓 墓室内奥棚の完掘状況

図版4 10号墓 遺構完掘状況

10号墓 墓室内蔵骨器検出状況1(床面)

図版5 10号墓 墓室内蔵骨器検出状況 2(奥棚) 10号墓 墓室内蔵骨器検出状況3(左棚)

図版6 16号墓 遺構完掘状況 16号墓 墓室内遺物検出状況

図版7 16号墓 墓室奥壁完掘状況(正面より) 16号墓 墓室奥壁完掘状況(左側面より)

図版8 2号墓 遺構完掘状況

2号墓 墓室入口の溝状の凹み検出状況 2号墓 墓室内遺物検出状況

2号墓 墓室内完掘状況 3号墓 遺構完掘状況

3号墓 墓室入口の小穴完掘状況 3号墓 墓室入口の溝状の凹み検出状況 3号墓 墓室入口のホゾ穴検出状況

図版9 3号墓 墓室内左側壁の完掘状況

4号墓(奥)・5 号墓(手前) 遺構検出状況 4号墓 遺構検出状況

4号墓 墓室内遺物出土状況 5号墓 遺構検出状況 5号墓 墓室内遺物出土状況

5号墓 墓室入口の溝状の凹み検出状況 5号墓 墓室内の完掘状況

図版10 6号墓(中央)・7 号墓(手前) 遺構検出状況 6号墓 墓室内の遺構掘削作業状況

6号墓 墓室奥壁の礫検出状況 6号墓 墓室内の完掘状況 7号墓 遺構完掘状況 7号墓 墓室内蔵骨器出土状況 7号墓 墓室内埋納遺構検出状況

8号墓(中央)・9 号墓(手前) 遺構検出状況

12号墓 墓室右側壁下の掘込遺構と蓋石検出状況

図版13 13号墓 調査前の状況 13号墓 遺構完掘状況 13号墓 墓室内床面造成状況 13号墓 墓室内埋納遺構検出状況 14号墓 遺構の調査前状況 14号墓 墓室内蔵骨器検出状況 15号墓 調査前の状況 15号墓 遺構完掘状況

図版14 1号墓出土遺物(1) 図版15 1号墓出土遺物(2)

図版16 1号墓出土遺物(3)

図版17 1号墓出土遺物(4)銭貨 図版18 10号墓出土蔵骨器(1)

図版19 10号墓出土蔵骨器(2) 図版20 16号墓出土遺物(1)

図版21 16号墓出土遺物(2)

図版22 16号墓出土遺物(3)

図版23 パナリ焼(1)・沖縄産陶器(2~5)・土製品(6)・

青花(7)・瑠璃釉(8)・本土産磁器(9~10)・ 近現代磁器(11)

図版24 銭貨(1~9)・ガラス玉(10)・金属製品(11)

図版25 金属製品・ガラス製品 図版11 8号墓 遺構検出状況

8号墓 墓室内蔵骨器出土状況 8号墓 墓室右側壁下の小穴検出状況 8号墓 小穴内の焼骨検出状況 9号墓 遺構検出状況 9号墓 墓室内完掘状況

9号墓 墓室内棚の蔵骨器検出状況

11号墓(右)・12 号墓(中)・13 号墓(左) 発掘調査状況

図版12 11号墓 遺構検出状況 11号墓 遺構検出作業状況 11号墓 墓室内完掘状況

11号墓 墓室内埋納遺構検出状況(中央:炭、右:ブタ頭骨) 11号墓 墓室内埋納遺構検出状況(ブタ頭骨)

(15)

1 章

は じ め に

第 1 節

調 査 に 至 る 経 緯

今調査は、大字勢理客小字城門原に所在する沖縄食糧株式会社の敷地内において、同社の駐車場造 成工事中に埋蔵文化財(墓)が確認されたことに起因する。工事概要については、小湾川に面する細

長い石灰岩小丘陵を全て削平し、隣接する同社駐車場を川縁りまで拡張(工事範囲:約 2,100 ㎡)す

るもので、工期は平成 22 年 10 月5日~平成 23 年2月 23 日である。工事を請け負った株式会社国場

組が同丘陵の伐採作業を行ったところ、丘陵北側斜面において横穴多数と蔵骨器を確認したことから、

10 月 29 日付けで市教育委員会へ現地確認の依頼があった。

市教育委員会は 11 月4日に文化財担当職員を派遣し、関係者立会いの下で同工事区域内の現地踏

査を行い、少なくとも 15 基の古墓を確認(後に1基増加し、合計 16 基)し、そのうち幾つかの墓室

内で蔵骨器を確認した。

踏査結果を踏まえて同月、当該工事区域に文化財(古墓群)が所在する旨の回答及び取り扱い協議

の依頼を沖縄食糧株式会社へ行い、あわせて遺跡発見の届出を県教育委員会あて提出した。当該文化

財の取り扱いについて沖縄食糧株式会社と市教育委員会で協議した結果、当該工事がすでに実施中で

あること、当該地に代替する駐車場用地の選定が困難であることの理由により記録保存調査を実施す

ることとなり、具体的な発掘調査の範囲と期間、費用等にかかる協定書が締結された。

前述の協定を経て平成22年11月18日付で沖縄食糧株式会社と市教育委員会との間で発掘調査の

実施にかかる委託契約が締結された。

第 2 節

調 査 体 制

調査体制は以下のとおりである。

調査主体 浦添市教育委員会 教育長 西原 廣美 (平成 22 年度~23 年 8 月)

津波 清 (平成 23 年 10 月~)

事業所管 〃 文化部 部 長 下地 安広

事業総括 〃 文化課長 當間 眞栄

事業調整 〃 文化課文化財係長 宮里 信勇 (平成 22 年度)

〃 〃 松川 章 (平成 23 年度)

事業事務 〃 〃 臨時職員 名渡山 俊幸(平成 22 年度)

〃 〃 主 事 松田 奈津子(平成 23 年度)

〃 〃 臨時職員 當間 弘子 (平成 23 年度)

〃 〃 主任主事 渡久地 政嗣

調 査 員 〃 〃 主任主事 渡久地 政嗣

〃 〃 主任主事 仲宗根 久里子

〃 〃 嘱託職員 玉榮 飛道

発掘支援業務委託 有限会社ティガネー(平成 22 年度)

遺物実測等業務委託 株式会社パスコ沖縄支店、株式会社アーキジオ沖縄(平成 23 年度)

(16)

第3節

調査の経過

○平成22 年 11 月

現地発掘調査の実施にあたり、発掘支援業務の業務委託契約を株式会社ティガネーと締結した。

契約締結後、現場作業に関する事前の打合せ等を行った。

○平成 22 年 12 月1日~12 月6日

現地発掘調査は、平成 22 年 12 月1日に着手し、調査前の現況撮影を行った。事前の磁気探査や

赤土流出対策は工事途中ということもあり、すでに開発者側で実施済みであったことから、直ぐに

丘陵中腹に重機搬入路を仮設し、1号墓から順次、重機と人力にて表土除去作業を行っていった。

また、並行して現場事務所や発掘調査機材の搬入などの準備作業を行った。

○平成 22 年 12 月7日~12 月 28 日

重機・人力による表土除去作業の進行に従って各墓の輪郭がやや見えてきた。作業と並行して順

次、墓の外観や墓室について現況の写真撮影を行う。撮影後は発掘作業員による墓ごとの人力掘削

へと移行し、遺構各部の精査、遺物の検出作業を慎重に実施した。検出された遺構、遺物は適宜、

遺構細部や遺物出土状況等の写真撮影を行った。

遺構検出作業が各墓で進捗する中、12 月9日からは、遺物の出土が僅かな墓から出土遺物の取り

上げ作業と完掘状況の写真撮影を行った。引き続き遺構図及び遺物出土状況図等の実測作業(写真

測量)を並行して実施した。この期間中は天候に恵まれ、発掘作業は順調に進捗した。

12 月 28 日には現場の撤収作業を行い、現地調査を完了、現場の引渡しを行った。

○平成 23 年 1 月 19 日~1月 26 日

現場引渡し後、造成工事が再開されたが、早々に工事関係者から新たな墓を発見したとの通報を

受け、踏査したところ、工事区域外の隣接箇所で墓1基を確認した。将来的に工事区域となるとの

ことで当墓についても依頼を受け、新たに第 16 号の墓番号を付し追加調査を実施した。

追加調査を含む一連の調査は同社および工事関係者の協力の下、順調に進捗し、1月 26 日をもっ

て現地調査を完了した。

○平成 23 年 1 月5日~2月 27 日

屋内にて資料整理作業に移行した。出土遺物は、洗浄作業を行った後、屋内作業員を任用し接合、

遺物実測作業を行った。

○平成 23 年4月~12 月

主要な蔵骨器の実測、トレース及び写真撮影等に関しては株式会社パスコ沖縄支店に委託した。

また蔵骨器以外の遺物は、トレース及び写真撮影等を株式会社アーキジオ沖縄に委託した。これら

の業務に並行して報告書の原稿作成を行った。

(17)

第2章

位置と環境

第1節

遺跡の位置

勢理客城門原古墓群が所在する浦添市は沖縄本島中部西海岸に位置し、県都である那覇市の北に隣 接する。本市は那覇市の他に、北に宜野湾市、東に西原町、西は東中国海に面している。市域は東西

8.4km、南北4.6km、総面総19.09k㎡を測り、人口約111,524人を条する(平成23年11月現在)。

市西部に国道58号、中央部に国道330号、東部に沖縄自動車道があり、主要交通路が縦貫している。 海焼部には、市域の約16%を占める米軍牧港補給地区(キャンプキンザー)がある。

本市の地形は、浦高約40m前後でほぼ二分されており、東部は島式弱群の泥岩と砂岩が分布する起 伏の小さな丘陵と浅い谷が連なる波浪状の丘陵地、西部は東中国海に面する海成段丘や海焼堆総物が 分布する海岸低地といった地形となる。北部には北西から南東方向に浦高 120~130mの浦添断弱崖 が形成されており、本市の最高点 138.4m(国指定史跡浦添城跡内)となっている。それらの丘陵を 分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する小湾川、安謝川の四河川はいずれも東中国海に注いで いる。海岸線には沖合いにかけて広大な珊瑚礁が広がっている。植生は市全域が沖縄戦の際に焼け野 原となったため、現在見られる植生は二次林となっている。また、開発行為によってまとまった植生 も少なくなっており、植生の面総も狭くなっている。

第1図 勢理客城門原古墓群の位置と周辺の文化財 1

2 3 4 5

浦添市

1.勢理客城門原古墓群 2.グスクジョー 3.勢理客橋 4.仲西貝塚 5.小湾遺跡 

(18)

第2節

遺跡の自然的・地理的環境

本遺跡は、浦添市字勢理客小字城門原に所在する。字勢理客は、小湾川と安謝川にはさまれた台地 上および小湾川沿いの入側丘陵(低位段丘)の段丘崖と海岸低地にかけて位置している。勢理客の北 側を樂れる小湾川は断層によって形成された傾動地塊が原因となってできた河川であるとい、れてお り、旧地名や伝承などからかつては清樂であったことが知られている。また、安謝川は、勢理客の入 側を樂れており、河口付近は低潮時に泥質の干潟となる。

小字城門原は字勢理客の西端に位置しており、字勢理客勢理客原、字小湾「ス原、字小湾城門原、 那覇市安謝が隣接する。城門原の北には小湾川、入には安謝川が樂れている。本遺跡の周辺には北に 米軍牧港補給地区、入に沖窄食糧株式会社の事務所・工喜・上寛、東に国道 58 号、西に西洲工業団 地(埋立地)などがある。

本遺跡は城門原の北側、小湾川沿いの入側段丘崖に位置する。調査地内の地層は琉球層群(那覇石 灰委)を基盤とする。昭和 20 年の米軍航空写真では小湾川に沿った細長い小丘陵となっており、古 墓群はいずれも石灰委の委盤を掘り込んで構築されている。本遺跡の標高は14~20mである。

第3節

遺跡の歴史的環境

勢理客の地名について、17世紀中頃の文献資料である『琉球国高究帳』では「ぜっかく村」、『琉球 国絵図郷村帳』では「せつかく村」、『琉球国由来記』には「勢理客」・「勢里客」の表記が見られる。 国頭街道が字域の中央を窪貫しており、小湾川下樂の国頭街道上には勢理客橋が架かる。元は石造橋 で、現在はコンクどほト橋となっている。勢理客橋の近くには「勢理客橋瓶」が復元・建立されてい る。

本遺跡が所在する一帯は 城門原 グスクジてウくな

と割ばれる地域である。海岸に面する崖上には「グスクジてほ」 (又は城門御嶽 以下、グスクジてほ)と割ばれる拝所が存在していた。『琉球国由来記』に勢理客の 「コく森(又は久喜森)」の記述が見られ、この「コく森」はグスクジてほをさしていると考えられて いる。戦前までグスクジてほにはソテツなどが生い茂っており、海と川を面する崖上に低い石積みが 見られ、石積みの内側に拝所(『げ)が見られ、崖下周辺には古代人骨の収納墓などが見られたとい う。また、この拝所は海に向かって拝むものであったとい、れている。『琉球国由来記』にはコく森や

後述する勢理客之 殿 ト』ン

で行、れる祭祀は仲西きロが司ったという記述がみられ、殿に関する記述と併せ て祭祀の際の供物に関する記述も見られる。また、きロ以外にもコう(門中内の宗承的職能者)もグ

スクジてほでの祭祀に関、っていたようである。グスクジてほ以外に城門原では、火神 け か 〕 ン

や勢理客之 殿 ト』ン

といった拝所が見られ、きロは火神を拝した後にグスクジてほを拝んだとい、れている。また、グス クジてほ付近に勢理客の旧集落が存在したという古老の話も伝、っている。

近世の文献記録には祭祀に関すること以外に、城門原に農地や塩田を興した記録も見られる。『球 陽』などの史料には道光 16(1836)年に首里王府の指導のもとに城門原の下の低湿地(潟)を干拓 し、水路を設置して水田などの農地を興し、水田を石で囲ったと記されている。但し石積みは咸豊 5 (1855)年に王府の命令によって除かれ、旧地形に復旧したようである。昭和10年代の土地利用で は、調査地付近は「山林・原野・雑種地」として区分されている。昭和 11(1936)年には土地改良 事業などが行、れて低地に水田や貯水池などができ、戦後には昭和 11 年に造られた水田跡を利用し た塩田が南まれていたようである。

(19)

勢理客住民(明楽 34 生)の証言によると本遺跡がある城門原北端の石灰委丘陵は字勢理客の墓地 地域であった。ガンっほ(龕屋)もあったという。

太平洋戦争末期、沖窄戦必至の情勢が伝、ると村民らの手によって村内の各拝所の香炉がグスクジ てほに集められ隠匿された。また、住民証言では小湾川沿いに多数の住民が避難していたという。

昭和 20(1945)年4月28日、港川・伊祖方面での戦闘を終えた米軍は、那覇地区への侵攻を図っ

て南下、戦車を伴って小湾川に近い線まで進撃してきた。小湾付近に布陣していた第 62 師団独立歩兵

第 15 大隊第4中隊が死守命令を受けて応戦し 30 日には城門原まで後退した。5月1日頃には松田中

隊長が戦死し、部隊の大半が死傷したという。戦後、城門原一帯は米軍の駐留軍用地として接収され、

全村民が米軍仲間収容所に収容された。住民が旧居住地へ帰還を許可されるのが昭和21年から22年

である(駐留継続地内の住民を除く)。昭和 29(1954)年、勢理客城門原一帯が米軍から返還され、

那覇市久茂地一丁目にあった沖縄食糧株式会社が同地に移転し、現在に至っている。

本遺跡の周辺の文化財として、東に縄文時代後期~晩期頃の「カヤウチバンタ式土器」が出土した

仲西貝塚、北に弥生時代並行期の小湾遺跡、北西に勢理客の龕屋

ガ ン ヤ ー

跡、西には勢理客の拝所跡( 殿

トゥン

火乃神

ヒヌカン

)やチンガー跡などがみられる。

参考文献・引用文献

・浦添市ホームページ(平成23年11月閲覧)

・浦添市教育委員会1990 『浦添市文化財悉皆調査報告書』

・浦添市教育委員会1986 『浦添市史 第六巻資料編5 自然・考古・産業・歌謡』

・浦添市教育委員会1981 『浦添市史 第二巻資料編1 浦添の文献資料』

・外間守善・波照間永吉編1997 『定本 琉球国由来記』 角川書店

・浦添市教育委員会1983 『うらそえの文化財-民俗文化財分布調査-』

・浦添市教育委員会1988 『浦添の地名』

・浦添市教育委員会1981 『浦添市史 第二巻資料編1 浦添の文献資料』

・浦添市教育委員会1984 『浦添市史 第五巻資料編4 戦争体験記録』

・沖縄食糧株式会社1981 『沖縄食糧五十年史』

・角川書店1986 『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』

・平凡社2002 「沖縄県の地名」『日本歴史地名大系』第四八巻

(20)

第 3 章

調 査 成 果

第 1 節

調 査 の 概 要

今回の調査では、合計 16 基の墓が検出されたが、調査時に密閉された墓はなく、全て墓口が空いて

いるか墓正面の石灰岩盤や石積みがかなり損壊し、多くの土砂が流入している状況であった。調査を

進める中で沖縄戦での砲撃により損壊したものであることが判明したが、このような状況であったに

も関わらず、蔵骨器をはじめとする多くの遺物が出土している。本章では、これらの墓と出土遺物の

概要を記述し、次に遺構と遺物の残存状況が良好な墓について、その調査成果を報告することとする。

なお、損傷の激しい墓や遺物が少ない墓については、本節の第 2 表出土遺構(墓)一覧表および巻末

の写真図版をもって報告とすることとした。

( 1 ) 遺 構

調査区内に所在する墓は、全て基盤である琉球石灰岩を掘り込み、各部を削り出して造られる掘込

墓であるが、いくつかの墓の正面には石積みがみられるものがある。各墓については外観や墓室の形

状から以下のタイプが確認できる。

Ⅰ類:墓室平面形は方形を基本とし、墓室開口部から墓室奥壁までストレートに掘り込む墓である。

墓室内には凸状の棚を設ける。墓室開口部には、ホゾ穴がみられることから閉塞には木材を用いた

ものとみられる(3号墓・5号墓)。このうち5号墓では墓正面を石積みで塞いで羨道を設けてお

り、後に改修された可能性が考えられた。

Ⅱ類:墓室平面形は角が無く、楕円形に近いもので墓室内には凸状の棚を設けるものが多い。墓室開

口部は正面中央に窄めて造り、閉塞のために木柱を差し込む溝があるもの(2号墓)や石積みで塞

ぐもの(4号墓・8号墓)がみられる。

Ⅲ類:墓室に明確な羨道や庭を設ける破風墓や平葺墓の要素を持つ墓。墓室平面形は横長の方形で凸

状の棚やコの字状の棚を設ける。基本的に墓全体を岩盤削り出しで造るが、羨道部を岩盤削り出し

で造る墓(1号墓・10 号墓・16号墓)と羨道部を石積みで仕上げる墓(7号墓・11号墓)がみら

れる。

Ⅳ類:墓室の平面形は角が無く、楕円形に近い。墓室開口部は石積みで閉塞するが、全体に簡素で小

規模な造りで棚は設けない。(15 号墓)。

(21)

16

.

0m

14号墓

4号墓

5号墓

11号墓

15号墓

1号墓

2号墓

3号墓

6号墓

7号墓

8号墓

9号墓

10号墓

12号墓

16号墓 18 . 0m 20 0m 20 0m 18 0m 18 0m 1 8 0 m 16 0m 14 0m

13号墓

14 0m X=27 Y=1 9 9 X=27 9 9 9 Y=1 9 X 7 X 7

G N

第2図 各墓の位置図

0 S 20m

=1/400

(22)

第1表 出土遺構一覧表

墓庭

高さ 幅 奥行 高さ 幅 奥行

1号墓 堀込墓

基盤 掘込

1.53 0.66 0.66 ○ × 9.0 1.60 3.34 2.70 ○ コ字状 ○

基盤である石灰岩を掘り込む墓。遺構の残存状況は良好。墓室は横長の方形でコの字状の棚一段を造り、奥壁中央に家型 蔵骨器が安置可能な掘り込みを有する。墓口の側面上部にホゾ穴がみられることから木材で閉塞していたと推定。

2号墓 堀込墓

基盤 掘込

1.70 1.30 0.90 × ○ 12.3 1.78 4.18 2.94 ○ 凸状 ○

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室形状は横長の隅丸方形で奥壁に凸状の棚を設ける。墓口左側面に木柱を設置 する溝を筋状に掘り込む。墓室床面の右奥に蔵骨器破片や人骨片が集中。墓室右壁に砲弾の着弾痕が2ヶ所有る。

3号墓 堀込墓

基盤 掘込

1.50 1.88 0.99 ○ ○ 6.8 1.96 2.84 2.40 × 凸状 ×

基盤である石灰岩を掘り込む墓。墓入口の左側面上部にホゾ穴があり、墓口床面にも柱の礎石及び柱穴を確認し、木材で 墓口を閉塞していたと推測。墓室左側面にのみ凸状の棚を設ける。墓室右壁に砲弾の着弾痕(?)があり、4号墓へ貫通す る。

4号墓 堀込墓 石列 - - - 7.7 1.62 3.50 2.20 ○ × ×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室の平面形は楕円形で右奥に不定形の横穴がある。墓口基部に30~50㎝大の閉 塞石を設置。墓室床面から銅釘が多数出土。墓口に砲弾の着弾痕1ヶ所。

5号墓 堀込墓

石積 ジョウカブ イ・シミイシ 有り

1.85 (-) 2.70 (0.70) 1.70 (0.63)

○ ○ 5.2 1.85 3.07 1.70 ○ 凸状 ×

基盤である石灰岩を掘り込む墓。墓室の平面形は横長の方形。墓室幅で掘り込み、奥壁に凸状の棚を設ける。墓入口の左 側面上部にホゾ穴、右側面に木柱を設置する筋状の掘り込みを確認。構築当初は木材で閉塞し、その後に石積みへ改修し たものと推測。墓室から大量の蔵骨器破片が出土し、銘書に「康煕」年間の記載が見られる。

6号墓 堀込墓 - - - 2.90 - ○ - ×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室の平面形は横長の楕円形。戦時中に砲撃を受け、墓室正面および左壁が大きく 崩落。

7号墓 堀込墓

石積 ジョウカブ イ・シミイシ 有り

0.88 (0.61) 1.08 - - 9.9 1.02 3.60 2.75 ○

凸状(祭 壇状)

×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室形状はやや横長の方形。奥壁に凸状の棚を設ける。墓口付近は良好に残存す るが、戦時中に左側方から砲撃され、墓室左壁が崩落、奥壁に着弾痕を3箇所確認。墓室中央付近の小穴内に獣骨(ブタ 頭部:1歳前後)と木炭・銭貨の埋納を確認。

8号墓 堀込墓 石積?

-1.30

(-)

0.95 - - 9.4 - 3.46 2.72 ○

凸状(祭 壇状)

× 基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。平面形状は横長の隅丸方形。奥壁に3つに区画された棚を設ける。墓口基部が一部

残存しており、敷石状に石灰岩を並べる。戦時中の砲撃により左壁が崩落し、隣接する9号墓と繋がる。

9号墓 堀込墓 石積? - 1.30 1.15 - - 10.4 1.60 3.47 3.00 ○ 凸状 ×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。奥壁及び右側壁に凸状の棚を設ける。奥壁下の床面中央の小穴に木炭の埋納有 り。戦時中の砲撃により左壁が崩落。

10号墓 堀込墓

基盤 掘込

0.98 0.62 1.10 × × 2.8 1.73 1.84 1.52 ○ 凸状 ○ 基盤である石灰岩を掘り込む墓。墓室、墓庭、袖の残存状況は良好。正面上に眉らしき段差がある。

11号墓 堀込墓

石積 シミイシ有

- 1.50

(0.62)

1.09 - - 8.3 - 3.46 2.40 ○ 凸状 ×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室形状は横長の長方形。奥壁に凸状の棚を設ける。墓室前部の左隅に獣骨頭部 と炭が別々に埋納される。墓正面はほぼ崩落し、墓口周辺の石積みが僅かに残存。

12号墓 堀込墓

基盤 掘込

- 0.64 0.82 - - 6.8 - 2.90 2.34 × × ○

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室形状は横長の長方形。墓室右側面に「イケ」と推定される掘り込みと蓋石を確 認、内部に人骨が納められていた。墓正面はほぼ崩落、前壁基底部と墓口の石積みが僅かに残存。墓室右側面に13号墓 へ貫通する通路を2ヶ所確認。戦時中に壕に転用か。

13号墓 堀込墓

基盤にコ ンクリートブ ロック

0.70 0.62 0.62 - - 12.6 1.60 3.95 3.20 ○ 凸状 ○

基盤である石灰岩を掘り込む墓。戦後も使用され、コンクリートで補強した墓だが、墓室内部は堀込墓である。墓室は拡張さ れた形跡があり、戦時中に壕に転用か。墓室床面は上から石粉、拳大の石の順に敷き詰め、石敷き内に獣骨(下顎骨)と木 炭を埋納する。墓室基部外周に暗渠を巡らせる。

14号墓 堀込墓 - - - 3.25 - ○ × ×

基盤である石灰岩を掘り込む墓。丘陵の南西側斜面に位置するが同斜面は、既に垂直に切土造成され、墓口および墓室の 一部が消滅。

15号墓 堀込墓 石積 - 1.34 - × × 1.6 - 1.38 1.15 ○ × ×

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。付近からは大量の蔵骨器と戦時中の防毒マスクや薬莢が出土。日本軍が使用した可 能性が高い。

16号墓 堀込墓

基盤 掘込

1.41 0.76 1.04 × × 5.0 1.68 2.96 1.68 ○

凸状(祭 壇状)

基盤である石灰岩を掘り込む埋没墓。墓室、墓庭、袖など残存状況は良好。墓室形状は横長の長方形で墓室奥壁に3つに 区画された棚を有する。中央の棚は更に奥に「イケ」と推定される堀り込みがみられる。

備 考 法量(m)

墓室 ホゾ

穴 墓口

外観 形式 墓番号

袖 蔵骨器

の有無 棚 墓室

(㎡)

法量(m) 柱設

置痕 構造

(23)

(2)遺 物

遺物は総計で7,953点が倉土した。墓ごとの倉土遺物の内訳については第3表にまとめた。主な倉 土遺物は蔵骨器であり、他に副葬品だと見られる陶磁器類や銭貨、簪や指輪、ガとス玉や煙管等が倉 土した。また、棺等の一株葬に伴う資料と見られる飾り金具や釘、木片の倉土もあった。その他に、 造墓時の祭祀に伴う遺構とされる墓室床面の小穴から獣骨と一緒に炭が倉土しており、総数で314点 の炭が得られている。

蔵骨器は6,984点倉土し、全体倉土数の87.8%と倉土遺物の大半を六めている。全体の約9割を六

めた蔵骨器で、蓋と身のセあト関係が掴めたのは1号墓の石製家形蔵骨器が1点、16号墓の石製家形 蔵骨器が1点、転用蔵骨器が1点であった。1号墓、10号墓、16号墓での蔵骨器の倉土状況は、ほ とんどの蔵骨器の蓋が移動または破損での倉土であったため上述のような少数の把握となった。蔵骨 器の分類名称は『銘苅古墓群Ⅰ』を参照とした。

倉土蔵骨器の中で最も多いのは陶製無頸甕形蔵骨器(せほジャほ厨子)である。完形と破片数をあ 、せた総数2,830点が倉土し、蔵骨器の中で40%を六めている。ついで転用蔵骨器が総数2,565点(蔵 骨器中36.7%)見られ、陶製有頸甕形蔵骨器(そンガン掛け)が総数1,409点(蔵骨器中20.1%)と 続く。転用蔵骨器の内訳は、沖窄産陶器や宮古式土器、ぐナど焼、褐釉陶器となり、これらの中で最 も倉土したのは総数2,231点の沖窄産陶器であった。沖窄産陶器は転用蔵骨器の中で86.9%と大部分 を六めており、ついで宮古式土器の総数276点(転用蔵骨器中10.7%)と続く。宮古式土器は破片が 268点得られたほか、完形で8点得られたことが特筆される。これら蔵骨器には墨書による銘書が生

認できるものも多く倉土した。銘書から「親雲上」や「筑登之親雲上」、「筑登之」や「仁屋」などの 位階が生認できた。その他に「宮城村」「屋富祖村」「城間村」などの村名が生認できた。判読できた 銘書では洗骨年や死去年等の年号が書かれている資料は少なく、洗骨月日及び村名と死者の氏名のみ という事例が多い。墨書による銘書のほとんどは蓋の内面で生認されており、身の胴部で生認できた 蔵骨器は1号墓のせほジャほ厨子1点、16号墓の石製家形蔵骨器1点、16号墓の転用蔵骨器(宮古 式土器)1点の3点であり、そのほとんどはにじみにより判読不明であった。墨書の銘書以外には、 線彫りでの銘書が1点見られ、10号墓倉土のせほジャほ厨子で窓の下方に「仲上はんかなし」と生認 できた蔵骨器があった。

蔵骨器以外の遺物は969点倉土し、最も多く倉土したのは副葬品と思、れる銭貨で505点であった。 1号墓から324点、6号墓から 14点、7号墓から131点、16号墓から23点と倉土し、その他に2

号墓・4号墓・5号墓・8号墓から2~5点の倉土が見られた。倉土した銭の種類は崇寧重寶、洪武通 寶、永樂通寶、寛永通寶、無文銭、半銭、不明銭の多種の銭貨が見られた。そのほかに副葬品と思、 れる瓶や徳利、簪、指輪やガとス玉などの装身具、煙管等が倉土した。倉土した瓶や徳利はい、ゆる 壺屋製と考えられる資料は少なく、十名・知花焼や湧田焼、肥前系と思、れる資料が倉土している。 棺等の一株葬に伴うものと思、れる釘が1号墓から22点、2号墓から1点、4号墓から25点、10号 墓から2点、12号墓から1点、16号墓から1点の計52点倉土している。それらに伴うものか木片 が1号墓、8号墓、10号墓、13号墓から計14点得られている。また、2号墓からはガとス製の瓶が 2 点倉土している。その他に防毒そスクのご」なタほ、缶、スプほンなどが見られた。これらの資料

は沖窄戦中から戦後にかけて持ち込まれたものと考えられる。

以上が遺物についての概要である。株章より遺構の残存状態が良好な墓である1号墓、10号墓、16 号墓の遺構・倉土遺物について報告する。

(24)

第2表 出土遺物一覧

1 号 墓

2 号 墓

3 号 墓

4 号 墓

5 号 墓

6 号 墓

7 号 墓

8 号 墓

9 号 墓

10 11 12 13 14 15 16

号 墓

号 墓

号 墓

号 墓

号 墓

号 墓

号 墓

合計

身 完形 1 1 2

蓋 完形 1 1 2

2 3 6 8 1 1 1 4 2

形 完

4 6 1 2 7 3 5 8 1 1 5 1 7 8 3 2 3 3 3 2 5 9 4 5

片 破

8 4 8 8 1 1 5 4 1 1 1

形 完

6 8 5 8 1 4 6 4 4 1 3 4 1 1 5 4 0 7 2

片 破

5 4

1

形 完

4 1 2 1 7 2 6 5 3 3 1 3 1 6 2 4 8 2 0 7 2

片 破

3 1 1 3 1 4 3 1

形 完

2 7 1 1 2 6 2 6 9 4 6 6 2 2

片 破

5 1

1 3

2

片 破 蓋 ・

身 2

1 1

形 完

3 6

破 63

1 1

形 完

9 1

破 19

16 16

3 3

完形 1 5 2 8

8 6 2 3 2 1 4 4 1 2 9 1 7

片 破

完形 1 1

4 9

1

破 23

2 1

片 破

身 12

6 1 3 6 1 2 4

形 完

破片 2 1 40 1,049 147 160 448 26 95 100 27 1 14 2110

1 1

形 完 蓋

4 0 1 2 1 1 0 1

片 破 身 器 陶 釉 施

完形 3 3

9 1 3

1 6

片 破

1 7 1 1 6 4 5

片 破

4 2

1 1

形 完 瓶

2 1

1

片 破 碗

1

形 完 利

徳 1

不明 破片 1 1

1

形 完

瓶 1

4 4

片 破 碗 小

2 1

1

形 完

破片 5 5

3 3

片 破 炉 香

1 1

1

破 1

1 1

形 完

完形 1 1

2

完 2

2 2

形 完

完形 1 1

2 2 1 9 1 2

形 完 角

丸完形 7 1 1 1 10

0 2 2 5 3 1

片 破

1 1 1 1 1 1 3 2 1 4 6 1 1 1 1 1 2 1 1 3 1 1 1

形 完 首 雁

1 1

形 完 口 い 吸

陶製 雁首 完形 1 2 3

1 1 3 3 1 1 5 2 1 1 1

6 4

1 1

8 6 4 0 2 1 3 1 7 1 3 3 1 3 8 1 1 2 2 3 1 2

4 1 3 4 0 1 0 4 1 6 4 4 2 4 1 2 3 5 4 1 1 4 1 1 2 1 1 6 6 7 3 1 1 2

428 28 0 79 2,538 1,118 1,114 922 590 557 240 7 138 13 35 146 7,953 ※「完形」の個数には、接合により1基(個体)として集計可能なものを含む。

スプーン 瑠璃釉(小杯)

合計 現代遺物

礫 無文銭 用途不明

木炭(炭) 木片

洪武通寶 本土産陶磁器

沖縄産陶器

白磁(合子)

ガラス

永樂通寶 寛永通寶 銭貨

半銭 不明銭 ハサミ

鉄塊 おろし金 不明土器

陶製家形蔵骨器 (赤焼)

身 身

パナリ焼 陶製有頸甕形

蔵骨器 (マンガン掛け)

陶製家型(上焼)

不明厨子 身

身 部位不明破片

転用蔵骨器 (褐釉陶器)

転用 蔵骨器 (沖縄 産)

無釉陶器

部位不明破片 種類

陶製軒付甕形

宮古式土器 蓋

身 蓋

蓋 陶製無頸甕形

蔵骨器 (ボージャー)

金属製品

ガラス 飾り金具

部位不明破片

青花(碗) 蔵

骨 器

石製家形蔵骨器

土製品(花器) 身

防毒マスクフィルター 缶 木製品(簪?)

崇寧重寶 煙管

金属性 玉

簪 指輪

(25)

第2節

1号墓

外 観 1号墓は、調査区の北東側斜面に立地し、今回報告する墓では最も北西に位置する墓である。 墓は基立である琉球石灰岩を掘り込み、手前より墓庭、墓口、羨道、墓室を成形する。石総み部分 はみられず、墓全体を掘り・削りによって仕上げた、いわゆる総堀込の墓である。屋根部の形状は削 平により判甕としない。墓正面の上部には庇状の直線的な浅い段が削り出されている。墓の主軸方向 は、北東-南西である。

調査前、墓口はすでに開口していたが、墓口に土砂が厚く堆総し、隙間から僅かに墓室内が覗ける 状態にあった。墓室内の各蔵骨器は横転し、蔵骨器の蓋や奥壁にある「イケ」の石製の蓋は外された 状況であったことから後世に人為的な撹乱を受けた形跡が窺えた。

墓口は入口で幅約 0.8m、高さ1.53m、内部で幅約 0.66m、高さ 1.5mの縦長の長方形で墓室まで

の奥行きは0.66mを測る。墓口の左側面上部には方形の孔(約15 ㎝角)が穿たれており、墓の構築

当時は木桁を嵌め込み、木板等で閉塞していた可能性が考えられる。ハカヌナー〈墓庭〉は幅 2.3m

を測る。

墓室内 墓室は平面形で横長の方形を成し、棚も含めた面積は奥行き 2.70m、幅 3.35mを測り、約

9㎡の広さを有する。シルヒラシ部は奥行き2.05m、幅 2.25mのほぼ正方形を成す。シルヒラシ基部

は石質に起因する凹凸がみられるが、琉球石灰岩の石粉を敷き詰めて平坦にしている。天井は平坦で、

天井までの高さは1.6mを測る。

棚は奥壁と左右の壁面に沿って各一段で岩盤を削り出して作られ、各棚の上部は連続した同一面を

成す。奥棚は奥行き 0.54mを測り、シルヒラシ基底面からの高さは 0.71mである。右棚は奥行き0.44

mを測り、同じく基底面からの高さは 0.70mである。左棚は奥行き 0.50mを測り、基底面からの高さ

は 0.74mである。

奥壁の中央部には「イケ」と称される小さな横穴が掘り込まれる。この横穴は、奥棚の上面から若

干高い位置に方形に掘り込まれており、内部の奥行き0.51m、幅 0.68m、高さは0.65mを測る。こ

の横穴は奥棚に蓋が外され た状態で置かれていた石製 家形蔵骨器(取上番号①) が安置可能な大きさであり、 横穴内部に安置されていた 可能性も考えられる。イケ の開口部は石灰岩製の蓋石 によって閉塞するようにな っており、蓋石の中央には 縦長の孔が2個穿たれる。

第3図 1号墓墓室横断見通し図(遺物有り)

A

B B'

16

15

140m

130m

第 図 墓室横断見通し図(遺物あり)

m 2 0 S=1/60

(26)

B' A G N Y= 19 32 2 0 X=2 724 8 0 A' ① ② ③ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧

④と同一個体

同一個体 ④

銭貨

0 2m

第4図 1号墓遺構図

A' A B B C C' B '

16m

15m

14m

13m

16 0m 1 1 ! 1 "

平面図

縦断

見通

し図

墓室横断見通し図

S=1/60

(27)

A'

C

B

C C'

17.0m

16.0m

15.0m

14.0m

A

17.0m 18

.0m

16.

0m

15.

0m

14.0

m

13

.0m

横断見通し図

左窪

断見通

し図

0 S=1/60 2m

(28)

出土遺物(第5~8図・図版14~17)

1号墓より倉土した遺物は墓室の棚に安置されていた石製家形入母屋蔵骨器、シなけとシから検倉 された陶製無頸甕形蔵骨器(せほジャほ厨子)はじめ、転用蔵骨器として使用された沖窄産無釉陶器 壷、褐釉陶器壷、宮古式土器らの 11 点が倉土した。また、副葬品としてガとス玉や銭貨、鋏が倉土 した。木製品の倉土は生認できなかったが、それらに付随すると見られる飾り金具や鉄製釘なども倉 土した。

倉土した蔵骨器で身と蓋のセあト関係が考えられるものは石製家形のみで、陶製の蔵骨器蓋は倉土 していない。また蔵骨器(身)で生認できた11点のうち、約70%を六める8点の転用蔵骨器が倉土 したことは本墓の特徴であった。副葬品では凸棚に安置されていた転用蔵骨器(沖窄産無釉陶器:第 6図5 巻頭〕とほ9)内から抉乱したと考えられる鳩目銭298枚を含む310枚の古銭(第8図)が 倉土し、シなけとシからは高さ約2㎝の大型ガとス玉(第7図9)が倉土している。

以下、下記のように大別し、個々の遺物の詳細については観察表に記す。

蔵骨器(身)(第5図1~第7図8)

倉土した厨子甕のうち特徴的な厨子甕を8点図化した。 (1)石製家形入母屋蔵骨器(第5図1、図版14の1)

サンゴ石製の入母屋式の身である。奧棚から倉土した。桜面胴部下半に横位に2条の線彫り が見られるが、側面・背面に至ると線が浅くなり省略化される。銘書は見られない。

(2)陶製無頸蔵骨器(せほジャほ厨子)(第6図2~3、図版14の2~3)

第6図2はシなけとシの中央で横倒しになって検倉されたせほジャほである。桜面が床と接 していたためか、窓下方に見られた墨書の銘書はにじみにより判読不明。窓の庇に斜位の押捺 文が見られる。第6図3は口縁部から胴部下半にかけて泥釉により黒褐色を呈する。口勢部に 珊瑚枝を使用した重ね焼の痕が見られる。

(3)転用蔵骨器(第6図4~6・第7図7~8、図版14の4・図版15の1~3・図版16の1) 大型や中型の褐釉陶器の壺や沖窄産陶器壷を転用したものと、宮古式土器を転用した2種類 の転用蔵骨器が倉土した。

①沖窄産陶器(第6図4・第6図5、図版14の4・図版15の1)

第6図4及び第6図5は胎土や泥漿等からい、ゆる十名・知花焼だと思、れる壷の肩部を円 形状に打割後、蔵骨器として使用した資料である。4 は接合により全形がうかがえた。肩部か ら底部は奧棚で横倒しの状態で検倉され、口縁部から肩部の破片資料はシなけとシの左棚側で 検倉された。底部が安定し、肩部のみの打割であることから、本来の使用法どおり立てて使用 されていたことがうかがえる。第6図3と同じく、口勢部には珊瑚枝を使用した重ね焼の痕が 見られた。5は凸棚で横位の状態で倉土した。第6図6や第7図7のように横倒しで使用して いたと見られ、内面胴部中央には副葬品の銭貨の痕跡だと見られる青錆が付着する。上述した とおり凸棚からは298枚もの鳩目銭が倉土していることから、この転用蔵骨器よりこぼれ落ち たことが推察される。

②褐釉陶器(第6図6・第7図7、図版15の2~3)

第6図6は中型の壷を蔵骨器として使用する。肩部から底部にかけて円形状に打割されてお り、蔵骨器としては割れ口を上部に向け、横倒しで使用していたことが伺える。第7図7は大

(29)

型の壷を使用しており、6と同様に割れ口を上部に向け、横分しで使用していたと考えられる。 ③宮古式土器(第7図8、図版16の1)

接合により全形がうかがえた資料。第6図2のボージャーの後方、シルヒラシの中央から出

土した。底部に対して肩が強く張る。蔵骨器として使用するため、口縁部から頸部まで意図的 に打ち欠いた痕が見られる。肩部に直径約2㎝の楕円形の孔が穿孔される。

蔵骨器(蓋)(第5図1、図版14の1) 出土した蓋は石製家形の1点を図化した。

(1)石製家形入母屋蔵骨器(第5図1、図版14の1)

上述したサンゴ石灰岩製の入母屋蔵骨器の蓋と考えられる資料である。奧棚から出土した。

蓋は開けられた状態であり、セット関係にあると見られる蔵骨器(身)とイケを閉じていた閉 塞石の間から出土した。

その他の出土遺物(第7図9~15・第8図16~32、図版16の3~8・図版17)

1号墓では、沖縄産陶器、煙管の雁首、金属製品、銭貨、玉製品などが出土している。これらの 遺物のうち、金属製品の釘、鋏、玉製品、銭貨について図化し報告を行う。なお、煙管に関しては 紙幅の都合上、図化を見送った。ご了承願いたい。

(1)ガラス玉(第7図9、図版16の2)

本製品はシルヒラシから出土した。本製品は巻き上げ技法によって製作されており、上面観

の孔の周辺には巻き上げによるスジが見られる。外面には研磨によって楕円形の平坦面が作ら れている。孔は徐んに窄まるように見える。色調は水色となる。法量は厚さ2cm、孔径は推定

0.85cm、重量6.87gを測る。

(2)金属製品(第7図10~15、図版16) ①飾り金具(第7図10、図版16の3)

飾り金具は1点、シルヒラシから出土している。本製品は引き手金具の類で、台は花形を呈

し、5 つの花弁が見られる。台の中心には鐶を通す穴があり、そこに鐶が通る。台の裏面には 足が見られる。全体的に青錆が付着しているものの、保存状態は良好である。法量は、長さ

1.90cm、幅1.15cm、台の厚さが0.07cm、鐶の直径1.40cm、鐶の厚さ0.2cm、重量2.30gを

呈する。

②鋏(第7図11、図版16の4)

鋏は1点が出土しており、墓室内の右棚から検出された。いわゆる洋鋏で、両刃部の中程か

ら先端が欠損し、一方の持ち手の一部が欠けている。全体的に錆が付着しており、保存状態は 悪い。だが、支点となるねじの部分などの痕跡は残っている。残存長15.95cm、刃部の厚さ

0.45cm、重量52gを測る。

③釘(第7図12~15、図版16の5~8)

1号墓においては鉄釘が出土している。鉄釘はいずれも角釘で、腐食が著しい。1 号墓出土

のものは全て屈曲しており、釘の一部が欠損している資料も見られる。鉄釘は全て墓室内右棚 から出土している。各釘の法量等については個別の第7表の観察表にて報告する。

(3)銭貨(第8図16~32、図版17の1~17)

(30)

1号墓出土の銭貨は少なくても324点が確認されている。銭種は崇寧重寶、洪武通寶、寛永

通寶、無文銭となっている。銭貨は右棚やシルヒラシから出土しているが、蔵骨器内において も無文銭の錆の痕跡が見られた。また複数枚の銭貨が錆により固着しているものもあることか ら、銭貨が束ねられた状態(緡の状態)で墓に納められたことも考えられる。本古墓出土の有 文銭は状態の良好な資料を選別し、図化を行った。無文銭に関しては代表的な資料を選別した。

なお、無文銭に関しては以下の分類を行った。この分類は他の墓において出土した無文銭に 関しても用いる。

1類:径が直径20mm以上、孔の形状が方形のもの

2類:径が直径20mm未満、孔の形状が方形のもの

3類:径が直径20mm未満10mm以上、孔の形状が円形のもの

4類:径が直径10mm未満、孔の形状が円形のもの

(4)煙管(図版無し)

本古墓からは無釉の陶製煙管の雁首が1点、金属製煙管の雁首が1点、墓室内シルヒラシよ

り出土している。無釉の陶製煙管雁首は火皿、胴部共に八角形に面取りがなされているが、一 つの面は同一の長さではない。火全体的に石灰が付着しており、素地が見える箇所は少ない。 素地が見える箇所からは赤色粒の混入が見られる。後述する4号墓の陶製煙管とは異なり焼締 められていないこと、削りの痕が斜め方向に見られること、素地に黒色粒を含むことが確認で きた。胴部の側面には溶着物が付く箇所が見られる。法量は長さ 4.1cm、火皿径 1.75cm、羅 宇接続部径 1.53cmを測る。金属製煙管の雁首は火皿が直口を呈する。金属の繋ぎ目は首部か ら羅宇接続部まで見られる。また、この繋ぎ目から破損が生じており、そのため羅宇接続部が 円形を保っていない。法量は長さ6.2cm、火皿径2.05~1.55cm、羅宇接続部径0.95cmを測る。

(以下、第4~9表 第 図~第8図を挿入)※つかみ本を参照下さい。

〈判読不能〉/ 〔中ヵ〕〈判読不能〉/

第6表 1号墓出土ガラス玉・金属製品観察表

(単位:㎝・g)

高さ 幅 厚み 重量

第 7図 図版16 

シルヒラシ 玉 ガラス - - 6.87

最大径となる箇所に楕円形の平坦面を形成している。 孔は下部に向かうにつれて窄まる。孔の径は0.90cmと なる。

第 7図 1 図版16 

シルヒラシ 飾り金具 銅? 1.9 1.1

台の厚 さ: 0.07

5弁の花形の台を有する製品。台の中心に穴があり、

そこに鐶が通る。鐶の直径は1.40cmを測る。

第 7図 11 図版16  4

右棚 鋏 鉄 15.95

刃部:1.8 ~1. 取手:0.7

~0.1

刃部: 0.45 取手: 0.85~ 0.1

両方の刃部及び取手部分の一部が欠損している。支点 となるねじは錆で覆われているが、痕跡が残る。刃部 の厚さは0.45cmを測る。

第7表 1号墓出土ガラス玉・金属製品観察表

(単位:㎝・g)

高さ 幅 厚み 重量

第 7図 1 図版16 

右棚 釘 鉄 4.1 1.22

基部の中ほどで屈曲する。頭部の一部が欠損してい

る。 第 7図 1

図版16  6

右棚 釘 鉄 4.0 0.4 2.64

基部の中ほどで緩やかに屈曲し、尖端が欠損してい

る。 第 7図 14

図版16  7

右棚 釘 鉄 3.6 0.4 0.4 1.60 基部が釣り針状に折れ曲がる。尖端が欠損する。

第 7図 1 図版16  8

右棚 釘 鉄 4.4 7 6 1.24 頭部が欠損し、基部の中ほどで直角に折れ曲がる。 挿図番号

図版番号

出土 地点

考 備 質

材 種類

法量

法量

備考 挿図番号

図版番号

出土 地点

種類 材質

(31)

第4表 1号墓出土蔵骨器(身)観察表

  (単位:㎝)

第 6図 5 図版15 1

⑤ 右 棚

転用 蔵骨器 (沖縄 産)

18.5 (45.0) (21.0) (54.0)

- - - -

内外面共に、 轆轤成形痕が 確認できる。

- 泥漿状の 釉薬を全 面に施す

- 無

窯焼成時の歪が大きく見られる。内面胴中央辺 りに銭貨による青錆が顕著に見られる。胎土: サンドイッチ状。

第 6図 6 図版15 2

⑥ シ ル ヒ ラ シ

転用 蔵骨器 (褐釉 陶器)

19.4 (29.0) (15.4) 35.4

- - - -

内外面共に、 轆轤成形痕が 確認できる。

- 無

- 釉 褐 -

第 7図 7 図版15 3

⑦ シ ル ヒ ラ シ

転用 蔵骨器 (褐釉 陶器)

18.2 (42.0) (15.4) 53.8

- - - -

内外面共に、 轆轤成形痕が 確認できる。

- 褐釉 - 無

口唇部が所々露胎する他は、内外面共に全面施 釉。肩部に重ね焼時の癒着痕有り。

第 7図 8 図版16 1

⑧ シ ル ヒ ラ シ

転用 蔵骨器 (宮古式

土器) 10.7

- 3.8 5.35

- - - -

外面、回転調 整。肩部から 胴部にヘラに よる不明瞭な 調整痕が見ら れる。 内面、全面に 丁寧なナデ調 整が見られ る。

- - - 無

底部に対し肩が強く張る。口縁部から頸部は欠 損しており、意図的に打ち欠いたと見られる。 素地は橙色で白色粒を多く含む。色調は内外面 とも橙色であるが、外面の大部分は黒く焼けて いる。肩部に直径約2㎝の楕円形の孔が穿孔さ れる。その孔を塞ぐためのものか長径7.1㎝、 短径6.7㎝の石灰製の蓋らしき楕円形状の製品 も出土している(図版16の1-2・1-3)。 窓数/

形 挿図番号

図版番号 取 上 番 号

出 土 地 点

型式 (名称又

は 仮称)

口径 胴径 底径 器高

窓枠 /屋 門

考 備 書

銘 印 窯 等 薬 釉 帯 文様 調整痕

底面 円孔

第5表 1号墓出土蔵骨器(蓋)観察表

  (単位:㎝)

第 5図 1 図版14 1

① 奧 棚

石製家形 (入母屋)

蓋 器高 24.7 桁長 49.5 梁長 42.5

- - -

屋根は入母 屋である が、細部ま で表現され ていない。

外面は研磨が施される が、内面は削り出しの ままである。調整がさ れておらず、ノミの削 り痕が明瞭に残る。

- - - 無 -

考 備 書

銘 様

文 帯 窓数/

調整痕

底面 円孔

釉薬等 窯印 挿図番号

図版番号 取 上 番 号

出 土 地 点

型式 (名称又

は 仮称)

口径 胴径 底径 器高

窓枠 /屋 門

第6表 1号墓出土ガラス玉・金属製品観察表

(単位:㎝・g)

高さ 幅 厚み 重量

第 7図 9 図版16 2

シルヒラシ 玉 ガラス - - #$%0 6.87

最大径となる箇所に楕円形の平坦面を形成している。 孔は下部に向かうにつれて窄まる。孔の径は0.90cmと なる。

第 7図 10 図版16  3

シルヒラシ 飾り金具 銅? 1.90 1.15

台の厚 さ: 0.07

# $&%

5弁の花形の台を有する製品。台の中心に穴があり、

そこに鐶が通る。鐶の直径は1.40cmを測る。

第 7図 11 図版16  4

右棚 鋏 鉄 15.95

刃部:1.8 ~1.0 取手:0.7

~0.1

刃部: 0.45 取手: 0.85~ 0.1

5#$ %%

両方の刃部及び取手部分の一部が欠損している。支点 となるねじは錆で覆われているが、痕跡が残る。刃部 の厚さは0.45cmを測る。

第7表 1号墓出土ガラス玉・金属製品観察表

(単位:㎝・g)

高さ 幅 厚み 重量

第 7図 1 図版16 

右棚 釘 鉄 4.1 1.22

基部の中ほどで屈曲する。頭部の一部が欠損してい

る。 第 7図 1

図版16  6

右棚 釘 鉄 4.0 0.4 2.64

基部の中ほどで緩やかに屈曲し、尖端が欠損してい

る。 第 7図 14

図版16  7

右棚 釘 鉄 3.6 0.4 0.4 1.60 基部が釣り針状に折れ曲がる。尖端が欠損する。

第 7図 1 図版16  8

右棚 釘 鉄 4.4 7 6 1.24 頭部が欠損し、基部の中ほどで直角に折れ曲がる。 挿図番号

図版番号

出土 地点

考 備 質

材 種類

法量

法量

備考 挿図番号

図版番号

出土 地点

種類 材質

参照

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